~三百年(みほとせ)2~
~三百年(みほとせ)2~
明治44年5月8日山形歴史史上に残る市北の大火、焼失個数1313戸、
損害被害額は数百億円の大惨事で三百年以前の過去帳等、記録は焼失。
寿虎屋酒造もまさしくこの渦中に巻き込まれ、家や店舗を失ってしまいました。
現存している記録として三百年前(1715年)将軍徳川吉宗公の江戸享保年間までしかさかのぼることが出来ないという訳です。
(蔵元菩提寺の総本山 知恩院・大本山 増上寺への問合せはまだしていません。)
「このような時こそ災いを転じて福としなければならない」、
現蔵元の曾祖父、保吉(やすきち 38歳)の指揮のもと新しい酒造りが始まりました。
8代目保吉は明治、大正、昭和にかけて激動の時代を生き抜き、
現在の寿虎屋の基礎を築きました。
酒造りから始まった保吉の情熱は、地方産業にも大きな影響を与え、嘱望されて、
山形市会議員、山形県酒造組合連合会会長、山形県会議員、
山形商工会議所会頭を経て、山形市長に選任され、
12年間にわたり困難な山形市政にも情熱を傾けてきました。
そして、戦後初めての名誉市民に推挙されました。