弊社銘柄、

弊社銘柄、
『寿虎屋酒造 formation of 霞城寿』の
『霞城(かじょう)』は山形城の愛称。

足利将軍時代は、斯波公。
徳川家康公と時を同じくして最上義光公が城主。
(最上義光は日本酒造りに力を注いだお殿様で有名)
最上氏以後は
東北の外様大名に備える江戸幕府の配慮から、
山形城主は幕府の中枢譜代大名(将軍家血縁者)
ばかりである事は有名な史実。

弊社は山形城東門前で日本酒を古より代々醸してきた蔵元。
『霞城・かじょう』の冠名を拝し、『霞城寿』として
現在に至っています。

明治44年5月8日山形歴史史上に残る市北の大火、焼失個数1313戸
損害被害額は数百億円の大惨事で三百年以前の過去帳等、記録は焼失。
現存している記録として三百年前(1715年)までしかさかのぼることが出来ないという訳です。
(蔵元の菩提寺、総本山 知恩院・大本山 増上寺への問合せはまだしていません。)

山形市100周年記念事業に伴い、
私立病院済生館の拡張工事に協力、
酒蔵の土地を全て提供、
平成元年に山形市高瀬地区に移転し
現在に至っています。

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