【マリモ命名120年】
【マリモ命名120年】
北海道阿寒湖をおもな原産とするマリモ。不動産賃貸サービスイメージキャラクターや、女芸人さんの芸名に使われるなど、そのかわいらしい形状や名前は、万人の知るところです。ところが、この「マリモ」の名まえが酒田市出身の植物学者に由来するものだということは、今日あまり知られていません。
川上瀧弥(かわかみたきや)は、松山藩士川上十郎の次男として、明治4年、山形県松嶺町(現酒田市)に生まれます。川上家は藩の砲術師範を輩出した家で、祖父の寅記は大阪長崎で学んだ荻野流の砲術を松山に伝えた一人、優れた研究者でもあって、洋式大砲を荘内で初めて鋳造した人物です。
川上家は、今の松岡株式会社本社工場あたり、愛宕さんの参道下に居を構えていた様子で、古い地図には「鉄砲場」として記載されています。
すぐそばに里山の迫る居宅で育ったためでしょうか、川上は、幼少のころより、父の農事関係の雑誌をめくる傍ら、稲荷沢の自然に良く親しんでいたといいます。
その後、荘内中、札幌農学校(北大)に進学。在学中の明治30年夏には、阿寒岳の調査を行い、湖の下に、球状の植物の群生を発見します。「水底を窺えば、各種の水草雑然として繁生し、小魚群泳して其間を過ぐるあり。~ 水底毬円緑色の一奇藻大小羅列するあり。是、緑色藻の一種”Cladophora-Sauteri”にして、マリモ(毬藻)の和名を命す」。今より120年前、川上が26歳の折のことでした。
農学校を卒業した川上は、引き続き北海道にあって植生調査をしたり、熊本で教鞭をとったりしていましたが、明治36年、台湾に渡航、総督府の下で、農事・植生の調査にあたります。41年には台湾総督府博物館初代館長を拝命、ボルネオ・ジャワ・スマトラなどでの有用植物調査を重ねる傍ら、44年、児玉源太郎&後藤新平ゆかりの博物館新館開館にむけた準備中、アメーバー性の腹膜炎を発症、同年8月、同館開館を見届けるように逝去しました。享年44歳。
川上の業績は、マリモの発見命名ほかにも、様々な図書の発行や「荘内産顕花植物」をはじめとする各種調査など多岐にわたっています。また、川上が晩年に開館準備に取り組んだ総督府博物館は、現在台湾国立博物館として多くのひとが訪れています。
酒田市にある、松山文化伝承館では、命名120年目の今年、郷土の先人のパネル展示コーナーのレイアウト変更を行うなどして、川上の業績発信に努めています。
酒田市松山文化伝承館
■酒田市新屋敷36-2 0234-62-2632
■時間:9:00~16:30
■休館:毎週月曜 月曜祝日の場合は翌日
■一般 360円 (団体・学生料金有)
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